歴物語
000
何事にも始まりはある。あたしがそれを認識したのは、生まれてから随分あとの事だった。
自分が生まれた時の事を覚えてるやつがいれば、それはきっと超能力者か何かなのだろうと思う。何故なら生まれてすぐに自我は生まれないからだ。だが、果たして「自分の始まり」というやつは、自分が生まれた時なのだろうか。
自我が芽生え、自分を自分だと認識、考えるようになった時が、「自分の始まり」なのではないか、とあたしは思う。
誰でもない自分が始まった日。それがいつなのか具体的には分からないけど、あたしはどこからか始まった。それだけ覚えている。始まりの定義は人それぞれだけど、始まりとは、いつだって劇的なものでありたい・・・とあたし、阿良々木火憐はそう思った。
吸血鬼になり、兄ちゃんをより好きになり、月火ちゃんをもっと好きになり、そして化物になったあたしは、そう思い返す。これから過ごすであろう悠久の時を憂いながら、思い返す。
この物語の。兄ちゃんの物語。忍ちゃんと出会い、吸血鬼になり、たくさんの人を助ける兄ちゃんの物語。あの夜、高校3年生の春休み。身も凍るような美しい吸血鬼と出会った阿良々木暦。それが全ての始まりだった。
でも違うのかも知れない。
物語はもっと、ずっと、遥か前から始まっていたのかも知れない。それがいつなのかは分からないし、始めたのが誰かも分からない。
だけどあたしは出会った。対峙した。物語を始めたであろう存在と。
その存在は、あたしの大事な家族によく似ていた。不死で、不死身で、可愛い家族に。
これはあたしの物語だ。
ヒストリア・ムーンバレッド・ハートアンダーブレード。
始まりの吸血鬼との邂逅。
001
それはいつもの日常。忙しなく繰り返す毎日を阿良々木城で送り出してから4年4か月と20日。そして記念すべき21日目。その日、兄ちゃんに送られてきた一通のメールから全てが始まった。
『緊急事態、発生。全員、阿良々木城に集合』
と簡潔された文章だった。
この全員がどこまでの範囲を指すのか、あたしには分からなかったが、少なくともそのメールの差出人が臥煙さんだって事は分かった。怪異の専門家、その元締めの臥煙伊豆湖さんだ。
彼女には色々お世話になっていた。このお城だって用意してくれたのは彼女だ。吸血鬼となったあたしたち兄妹が平和に暮らせているのは、臥煙さんのおかげだ。だから、揉め事なら、兄ちゃんはどうか分からなくてもあたし個人としても手伝おうかと思ったくらいだ。
でも後日いざその全員が集合してみると、果たしてこれはあたしの出る幕か?と思うくらいの蒼々たるメンバーだった。
阿良々木城の一番広い食堂。畳で言うと軽く50畳は超える広さの部屋にメールの「全員」が集まった。
まずあたし。阿良々木火憐。吸血鬼。現役、警察官。休職中。
「おい、忍。ドーナツはそのへんにしとけ。喰いすぎだ。」
阿良々木暦。吸血鬼。人間。ハーフ。警察官。同じく休職中。
「おい、お前様。儂は今日、朝ごはんを喰っておらんぞ。後2個はドーナツを喰わんと餓死してしまう。」
忍野忍。吸血鬼。少女。見た目18歳。
「もうお兄ちゃん!昨日、私のアイス勝手に食べたよね!弁償して!プラチナむかつく!」
阿良々木月火。吸血鬼。最不死の怪異。
「ねぇ、忍姉さん。このドーナツもらって良いかい?」
斧乃木余接。人形の怪異。元死体。
「いやぁここは居心地がいいね。はっはー。少しの間居候しちゃおうかな?どう思う?貝木くん。」
忍野メメ。専門家。アロハのおっさん。
「知らん。それと忍野。今すぐ俺の肩からその馴れ馴れしい手をどけろ。ぶっ飛ばすぞ」
貝木泥舟。専門家。詐欺師。
「はぁ・・・吸血鬼がこんなに・・・ウチの血が騒ぐ・・・でも勝てへんしなぁ・・・」
影縫余弦。専門家。不死の怪異専門。
「やれやれ、私は私で忙しいんですけどねぇ。今回に関しては何にも知らないですし」
忍野扇。怪異。忍野メメの姪っ子。
そして・・・招集をかけた張本人、臥煙伊豆湖は
「さて、皆集まったね。それでは本題に入ろう。」
と怪しい笑みと落ち着いた口調でそう言った。
002
「厄介な吸血鬼が長い眠りから覚めた。」
というのが邂逅一番の本題の内容がそんな言葉だった。
「私の知る限り、最強の怪異だ。下手をすれば、ある意味キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードより強いかも知れない。」
「あたしよりも・・・ですか?」
あたしはそう尋ねた。自分の強さに自信があった。決して奢りや見栄ではなく、ただそれだけの自信があった。自分で言うのも難だけど・・・吸血鬼になってからのあたしは・・・それはもう最強街道まっしぐらだった。その数々の輝かしい武勇伝はまた違う話で聞かせるとして、とにかくそんな強さを持ったあたしを以てしても、臥煙さんの答えは、
「うーん。何とも言えない。ある意味・・・なんだ。もちろんおそらく攻撃力において火憐ちゃんを超える怪異はいないだろう。でも何も攻撃力だけが強さではない。」
と・・・それが答えだった。
「どういう意味です?」
兄ちゃんが尋ねた。
「不死力だ。そこの月火ちゃんを超える不死力を持っている。」
「え、私の最不死の称号が・・・!」
月火ちゃん、そこは心配するとこか!?いや気持ちは分かるけど。何でもベストってのは気持ち良いもんな。
「つまり・・・しでの鳥と吸血鬼、両方の特性を持った月火ちゃんより高い不死力を持っているという訳だね。先輩。」
メメさんがそう言った。彼の言いたい事は分かる。つまりそれはすごいややこしいって事だ。
月火ちゃんは頭が吹っ飛んでも、身体がほぼ消滅しても、細胞が1つでも残ればそこから瞬時に再生する。不死身のしでの鳥と不死の吸血鬼、両方の力を持つ月火ちゃんの不死力はある意味では最強だ。その不死力を超えるとなればもはや攻略する手立てがないと思う。
「答えが出ていないか?」
貝木がそう言った。ああ、こいつは呼び捨てで良いんだ。腹立つから。そんな貝木は腹立たしいくらいに冷めきった顔で、言葉を続ける。
「そいつを退治する手段がない。そこの阿良々木火憐でも阿良々木月火を殺せる自信がないんだろう?」
妹を殺すって言葉に少しイラっとしたけど、何とか我慢した。
「ああ・・・ないっちゃない。本気を出したら分からねぇけど、それでも無理だと思う。」
イライラを我慢しながら貝木の質問に答える。
「この面子で一番、強いのは阿良々木火憐。そいつが殺せない阿良々木月火を超える不死力を持つ吸血鬼。つまり退治は無理だ。」
と貝木は淡々とした口調でそう言った。
「癪やけど、ウチも貝木くんと同意見やな。」
「はっはー。すぐに結論を急いじゃって。みんな元気良いなぁ。何か良い事でもあったのかい?まぁまず最初の問題は、その吸血鬼が悪意を持っているか、って事だね。」
その軽率なアロハのおっさんの言葉に、貝木も影縫さんも、明らかに少し機嫌が悪くなったけど、二人ともどうにか抑えていた。まぁ確かにその通りだもんな。
「すでにそいつが目覚めた場所から一番近い街の人間が全て消えた。そいつが目覚めてからたった1日で、だ。」
「・・・な・・・そんな・・・」
一番動揺したのは、やっぱり優しい兄ちゃんだった。縁もゆかりもない土地の人を心配する優しい兄ちゃんかっけー。やっぱさすが、あたしの兄ちゃんだ。
「目覚めてから、2日。更に街が一つ消え、討伐に向かった専門家が死ぬ前に発信したSOSを私が受信した訳だ。もうすでに数千人単位で死傷者が出てる。」
正義の化身でもあるあたしはすでにその時点で怒っていた。
「許せねぇ。何の罪もない人たちを・・・」
貝木が飲んでいるコーヒーカップに少しヒビが入る。そうあたしが怒ったら空気を震わせるくらいの事はできるんだぜ。
「やめい、火憐。そう怒るな。」
あたしの怒りを鎮めたのは忍ちゃんだった。
「忍・・・ちゃん」
「うぬが怒ったら大気が揺れる。儂らも何かピリピリするんじゃ。」
と忍ちゃんは首あたりをさわさわしながらそう言った。
「これが・・・阿良々木火憐か。確かにとんでもないな・・・」
貝木がヒビが入ったコーヒーを見つめながらそう言った。
「とにかく!」
と、ざわつく部屋を臥煙さんが一喝した。
「この吸血鬼を私たちで討伐する。これ以上被害が出たら、いずれ世界が滅ぶ可能性がある。そこで火憐さん、月火さん、忍さん。君たちにも力を貸して欲しい。」
「もちろんだ!!」
あたしは大声でそう言った。月火ちゃんも忍ちゃんも同じ気持ちのようだ。
「・・・」
兄ちゃんは一人心配そうな顔をしていた。あたしらの心配をしてるんだ。
「大丈夫だって。兄ちゃん。無理はしないからさ。」
「・・・分かってる・・けど」
月火ちゃんが補足する。
「お兄ちゃん。この面子で負けとかありえないって。知ってるでしょ?」
「ああ・・・そうだな・・・でも僕もついていくぞ。」
「もちろんだ。こよみんにだって役割はある。全員で挑むんだ。」
臥煙さんがそう言った。こんな大きなチームは初めてだ。それだけであたしは少しワクワクした。もちろん不安もあるけど、それでもこのドリームチームで何かができるって事がすごい事だと思った。
「ところで、臥煙さん。」
「ん?なんだい?こよみん」
「その吸血鬼に名前はあるんですか?」
と兄ちゃんが言った。名前。重要なもの。
「もちろんだ。そして二つ名もね。」
臥煙さんは続けてこう告げる。
「その吸血鬼は・・・彼女は、ヒストリア・ムーンバレッド・ハートアンダーブレードとそう名乗ったらしい。そして、彼女の名は古い文献にも載っており、そこにはこう書かれていた。」
臥煙さんは、少し間を置いた。そしてこう告げる。あたしたちに。物語を歩んできたあたしたちに。
「始祖。始まりの吸血鬼と呼ばれているらしい」
003
忍ちゃんは、ベランダに出て夜風に当たっていた。いつ見てもなびく金色の髪は綺麗だった。
「・・・」
ただ黙って月を見ている忍ちゃん。少し話しかけ辛かったけど、小さな勇気を振り絞って、あたしは声をかける。
「名前が気になる?」
「・・・そう、じゃな。」
「まぁ・・・そうだよな・・」
返す言葉が見当たらないあたしに対して、少しうつむいた忍姉さんは続けた。
「ハートアンダーブレードという名は、儂を吸血鬼にしたスーサイドマスターが考えた名じゃ。その名を持つのは儂が唯一じゃったはず。」
デストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスター。忍ちゃん・・・いやアセロラ姫という人間を吸血鬼にして、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードという名前をつけた。言わば全ての始まりの吸血鬼。
「始まりの吸血鬼ヒストリアの名前にハートアンダーブレードが入っているという事は、それを名付けたスーサイドマスターとヒストリアは何か関係があるんじゃないかな。」
「もちろん儂もその可能性は考えておる。じゃからスーサイドマスターに話を聞かねばならん。」
あたしは黙って頷いた。他に言う言葉が見つからなかった。語彙力の低さが泣けてくるぜ。
「はぁ、ようやく平和に暮らせておったのに・・・ここに来て新しい問題か・・・嫌になるのう」
忍ちゃんは深くタメ息をついてベランダから部屋に入った。あたしも着いていく。
「まぁ、今回はあたしがいるんだ。そんなに心配しないでくれ」
「心強いの。火憐・・・うぬにも迷惑をかけておるな。」
忍ちゃんは申し訳なさそうに言う。まるで自分があたしたちを巻き込んだような言い方で。それに関してはきっぱり否定した。
「あたしは、後悔なんかしてねぇよ。あたしが選んだ事だし。忍ちゃんに迷惑なんてかけられてない」
「・・・」
「むしろ嬉しいぜ。兄妹仲良く、普通の人間より長く生きる事ができるんだ。」
「そう言ってくれるとありがたいの。とにかく。スーサイドマスターに話を聞いてみるしかないの」
そう言って忍ちゃんは、自分の寝床に戻っていった。
阿良々木城にはそれぞれの個室があって、今や忍ちゃんは兄ちゃんの影にいなくても生活できるようになっている。ちなみにここはリビング。シャンデリアとかあるんだぜ。あたしの家もとい城は、なかなか自慢できるマイホームだ。その一室、忍ちゃんの部屋。その寝床に少し疲れた表情で彼女は入って、すぐに寝息を立てだした。
004
あたしは忍ちゃんの寝顔を堪能した後、自室には帰らずに違う部屋へと足を運んだ。今日は、集まったメンバー全員がこの城に泊まっていた。その一室、むさいおっさん部屋。そこから感じる只ならぬ空気を感じて、あたしは少し部屋を覗く事にした。
「おい」
天下の詐欺師・貝木泥舟は口を開いた。
「何だい?貝木くん」
胡散臭いアロハのおっさん・忍野メメはそう返した。
「何故、俺とお前が同じ部屋なんだ。しかも何故ベッドは一つしかないんだ」
「部屋が足りないんだから、仕方ないじゃないか。ここも本来一人用らしいし」
忍野さんは気さくに喋る。対して貝木はいつにも増して不機嫌そうな顔をしながら、
「ふざけるな。何故男同士、同じベッドで寝なきゃならん。」
「だからと言って他の部屋行く勇気ある?僕は嫌だよ。」
女性は基本一人部屋が用意されている。だがどの部屋も彼らにとってはなかなかの恐怖で結局選択肢は残っていなかったみたいだ。
ちなみに現在、阿良々木城には6人が同棲している。兄ちゃんに、忍ちゃん。あたしに月火ちゃん。よっちゃんに、ひたぎさん。あ、よっちゃんって斧乃木余接ちゃんの事な。ひたぎさんも住んでいるけど、今は仕事の出張でいない。
「・・・まぁ勇気はない。」
貝木もまさかの断念。
「だろ?ここしかないんだって。」
「分かった。我慢してやろう。我慢してやるから忍野、金をは・・・」
「僕、お金ないんだよね。基本的に」
イラっという音が聞こえた気がした。貝木相手にここまでのんびり話せるのは忍野さんくらいなんだろう。
005
「あれぇ?これはこれは、火憐ちゃんじゃないですか」
と、おっさん部屋を覗き終わって自室に帰る途中に話かけてきたのは忍野扇さんだった。正体不明の怪異として生まれた扇さん。現在は、警察官をしながら適当な指示でより多くの人を迷わせている。
「扇さん、何してるんですか?こんなところで」
「いやぁね。おじさんに会いに行こうと思ったんだけど、その前に火憐ちゃんを見つけたからさ」
忍野さんの姪。扇さんは忍野さんのおかげで正式に姪となり、存在が許される怪異となった。でもあのむさい部屋に?大丈夫かな。知らない人が見たら、何してるか分からないニートみたいなおっさんと詐欺師のおっさんだぜ?その部屋に入るとか・・・
「最近はどうだい?」
と漠然とした質問をしてきた。
「ええと、まぁ普通ですかね・・・」
「普通・・・か。普通は良い事だよね。正直、一番の幸せとは普通である事だと私は思うね。」
くるくる変なポーズで回りながら扇さんは言う。
「だってさ。考えてみてごらんよ、火憐ちゃん。ハッピーな事がたくさんあって、幸せだとしてもそれが終わるとその落差に寂しくなったりするだろう?だからと言ってアンハッピーが続くのはただ辛いだけ。なら、何の落差もない普通が得てして一番素晴らしいじゃないか。」
「はぁ・・・まぁ確かに」
空返事。脳筋のあたしでは少し難しい話だな。
「火憐ちゃんは、君は今普通かな?人間から吸血鬼になって、普通を享受できているかな?」
「うーん・・・確かに吸血鬼になった事は普通じゃないのかも知れないけど、今は幸せですよ。家族とずっと一緒にいれるし・・・」
扇さんは「なるほど!」と何やら納得して、
「素晴らしい事だね。家族。うんうん。その普通・・・大事にしないとね。守る力を持ってしまったら守られる側ではいられない。火憐ちゃん、君はその幸せを大事に守り通さなきゃならない。」
あたしが「頑張ります」という前に扇さんはふらふらとおっさん部屋に消えた。これからどんな話し合いをするんだろう。少し気になるけど、素直にあたしも自室に帰る事にした。
扇さんの話は基本、適当が多い。でも意味がない訳じゃない。「普通」か・・・。あたしは今、普通を享受できているんだろうか。扇さんのせいで、ちょっとしたモヤモヤができたままあたしは床に就く事になった。
006
次の日。何と臥煙さんはスーサイドマスターを連れてきた。以前スーサイドマスター関連の事件後、何と、連絡先を交換し合っていたというから、臥煙さんのフットワークの軽さには驚きだ。そしてたった1日で海外にいるスーサイドマスターを連れてきたのも驚きだ。どうやって連れてきたのか、と兄ちゃんが質問していたが、生憎「企業秘密」だそうだ。臥煙さんが企業なのかどうか怪しいところだけど。
それはともかくいよいよ、忍ちゃんの気にしていた過去が分かる時が来た。・・・再び全員が集まった食堂で、過去の物語が紐解かれる。
「さて、スーサイドマスターさん。今回の事はあらかじめ話した通りだ。」
「ふむ。わざわざ俺様を遠路はるばる呼んでおいて、する話・・・だな。これは。」
昨日と同じく蒼々たるメンバーが阿良々木城の食堂に集まった。
「何故、ハートアンダーブレードじゃ。儂以外にもその名をつけたという事か?」
ドーナツを食べながら忍ちゃんは質問する。
「違う。俺様がそう名付けたのは、キスショット・・・唯一人だ。」
同じくドーナツを美味しそうに食べながらスーサイドマスターがそう断言した。
「どういう事じゃ?ヒストリアという吸血鬼を知っておるのか?」
続けて臥煙さんが、
「関連性があるのか。それを聞かせてもらえないかい?」
と言った。するとスーサイドマスターは少し考えて、いやそれなりに考えて、月火ちゃんの方を指さして口を開く。
「お前のような綺麗な吸血鬼だった。」
「やだ、スーさんったら、私の事を綺麗だなんて」
月火ちゃんが照れる。スーさん?どこぞの釣りバカ社長だ?
「例えだぞ。お前の事じゃないだろう」
貝木が割り込む。
「プラチナむかつく!」
月火ちゃんが怒る。まぁ当たり前の流れだ。
「そこまでピーキーじゃなかったが・・・そう、雰囲気も似ているな。思い出す。」
スーサイドマスターが話を続ける。食堂はスーサイドマスター以外の声がしなくなった。みんな、黙って話を聞く態勢に入ったようだ。
「ヒストリア・ムーンバレッド・ハートアンダーブレード。知ってる、知ってるよ。よく知ってる。こいつは・・・俺様を吸血鬼にした吸血鬼だ。」
007
スーサイドマスター回想
どこから話そうか。1000年以上も前の話だよ。そうだな、俺様がまだガキだった頃だ。クソみてぇな時代に、クソみてぇな生活を送っていたんだ。食事もロクになくて毎日、空腹との戦いだ。もちろん身寄りなんてなくて、自分を生んだ親さえもいなくて、俺様はただ一人ぼっちだった。
ある日、もう空腹が限界に来ていた時、大きな城に忍び込んだ。もちろん食事目当てだ。当然、廃墟の城だったが、パンでも何でも、腐っていても良いから、腹に何か入れないとやべぇ状況だった。もう死の一歩手前だった。
そこで出会ったんだ。一人の吸血鬼と。
彼女は酷く衰弱していた。自分は吸血鬼だと言った。そもそも吸血鬼なんて言葉を聞いた事がなかったから、それが何なのか分からなかった。そう、その時代に吸血鬼っていう概念はなかった。「吸血鬼なんて空想だ」なんて言うやつもいないくらいに吸血鬼なんて言葉は存在していなかった。
だからその吸血鬼に対して恐怖もなかった。ただ彼女はこう言った。
「血を吸わせて欲しい。その代わりあなたの命も助けるから」と。
命にしがみついていた俺様は、その話に乗った。そう・・・彼女に血をあげて自分を眷属にしてもらったんだ。
お互いに衰弱もなくなり、落ち着いて話をする事ができるようになって、初めて名前を聞いた。
「ヒストリア・ムーンバレッド・ハートアンダーブレード」
という名前らしい。そして名前なんかなかった俺様に「デストピア・ヴィルトゥオーゾ・スーサイドマスター」なんて大層な名前までつけてくれた。
その時代で、いや地球の歴史上で、初めて吸血鬼が現れ、俺様は2番目の吸血鬼になった。そしてそれから数十年の間に吸血鬼の話は世界に広がり、ヒストリアは「吸血鬼の始祖」「始まりの吸血鬼」なんて呼ばれて、恐れられた。何で恐れられたかって言うと、それは彼女が人を襲っていたからだ。しかもすさまじい数の人間を。ヒストリアはとにかく人の魂にこだわった。襲った人間を喰わず何やら儀式をしていた。生き返らせたい人がいるだとか、なんとか。
不死の吸血鬼が他人の蘇生だなんて、今でこそ笑える話だが、当時はそれを不思議だとは思わなかった。世間様にしてみればな、存在自体がハチャメチャなのが吸血鬼っていう認識だからな。ヒストリアはたくさんの命を奪って、それを代償に死者を甦らせようとしたが、結局、それが叶う事はなかった。
叶わないと諦めてからの彼女は酷かった。死に場所を探して、放浪だよ。もちろん俺様も同行した。でも彼女はとことん死ねなかった。その過程で気づいたんだが、自分の再生力と彼女の再生力にはあまりにも大きな差異がった。これでも当時いた吸血鬼の中では俺様は上位に位置する再生力を持つ吸血鬼だった。だがしかし、どうやら彼女はそれを遥かに超える類まれなる再生力を持つ事が分かった。例えば同じレベルのダメージを負ったとして、俺様が再生に5分かかる傷でも、彼女は瞬きした後にはすでに再生していた。吸血鬼の中でも化物じみた不死力を持っていたヒストリアは、逆にその能力のせいで死ねなくなってるんだ。
彼女はしばらくしてとうとう食事も辞めた。今まで確固たる目的の為に命を奪っていたから、それが叶わないと諦め目的がなくなった途端、人を殺す事が怖くなってしまったようだ。食事をしない彼女はどんどん衰弱していった。だが彼女は死ねなかった。衰弱し、空腹に苛まれているのに、生体機能は止まらないんだ。彼女と出会って、随分と長い月日が経っていたが食事をしなくなってからの彼女は正直、見ていられなかった。
彼女は・・・ヒストリアは想像を絶する程の苦しみにもがき続けた。そしてある日とうとう彼女の意識が消えた。生体機能は動いているが、意識がない状態になっていた。これがまぁ現代の吸血鬼で言う乾眠ってやつだな。だが当時の俺様は、それが彼女の死だと思い、そのまま棺に入れて埋めてやった。ついさっき、そこの専門家から話を聞くまでヒストリアは死んでいたと思っていた。まぁその埋めた場所に城を建てて、俺様はそこの主になった。それから数百年後、アセロラ姫と出会った。そこから先は知っての通りだ。
ああ、そうそう。そんな目で見るなよ。恥ずかしいだろ。
そうだよ。俺様はヒストリアを尊敬していた。命を救ってもらって感謝もしていた。当時の俺様の全てだった。だから、アセロラ姫の名前にハートアンダーブレードという名前をつけた。親心みたいなもんさ。立派になって欲しいっていう。
008
「っていう事だ。」
スーサイドマスターは話終えて満足そうに再びドーナツに手を出した。
「うぬが始祖じゃなかったのか・・・」
「ヒストリアは強かったよ。現代にたくさんいる吸血鬼、どれと比べても次元が違う。まさに始祖。最強の怪異とは彼女の事だろうな」
思い出すような懐かしい顔でスーサイドマスターはそう言った。
「ヒストリアのあらましが分かったところで状況はあまり変わらないね。」
斧乃木のよっちゃんがそう言った。
「謎は少し解けたと思う。でも何故、今になって目覚めたのかも不明だし、彼女を討伐する方法も分からないままだ。」
それに対してスーサイドマスターが言う。
「討伐するってのに俺様は協力するつもりはないが、彼女と交渉はしてやるさ。一緒に隠居でもしてもらえればありがたい」
臥煙さんが続ける。
「もちろん。話し合いで解決できるならそれは素晴らしい事だ。ただし解決できない場合は討伐する事になる。それを邪魔するって事は・・」
「しねぇよ。このスーサイドマスター様を見くびるなよ。確かにヒストリアは我が主足り得るが、だからと言って彼女のした行為が全くの無罪ってのも理不尽な話だからな。」
「それが本当なら嬉しいんだけどね。」
「信じられねぇか?」
空気がピリっとした。
「おい、専門家。スーサイドマスターは、嘘はつかん。それは儂が保証する。」
「保証・・・ねぇ・・・」
忍ちゃんがそう言ったのに対して臥煙さんは考え込む。重たい空気が流れ始めたが、考え込んでいた臥煙さんは「よし」と軽い一言を呟き、
「良いだろう。こちらとしては願ってもない条件だ。むしろ恩に着るべきだろう。感謝するよ。スーサイドマスター。」
と感情が籠っているのかどうか分からないような口調で、感謝を告げた。対してスーサイドマスターは鼻で笑う程度であったが、先程まで出していた殺気を引っ込めた。
「恩に着なくていいぜ。俺様も久しぶりにヒストリアに会えるなら願ってもない事だ。」
そう言ってスーサイドマスターは最後のドーナツを頬張り、満足そうに微笑んだ。
009
「スーサイドマスターの説得ができなかった場合、もちろんバトルになる。そうなると今までで一番危険度が高い怪異となるだろう」
臥煙さんがそう言う。専門家の人生の中で一番危険度が高いと言わしめる程の危険度。それが臥煙さんの始まりの吸血鬼への認識だ。
「そうなると、火憐さん・・・やはり君の力が必要だ。」
「おう、任せてくれ」
あたしは自分の胸を叩いて、そう言った。そんなあたしをスーサイドマスターがじっと見つめる。そして一言、
「すさまじいな」
とそう言った。
「見ただけで分かる。ヒストリアと同じ領域だ。怪異の次元を超え、神次元のレベル。まさかこんな吸血鬼にお目にかかれるなんて。長生きはするもんだ」
スーサイドマスターは、それはもうめちゃくちゃ珍しいものを見るような眼であたしを見る。少し恥ずかしくなってくるぜ。
「あたしなんてまだまだだよ。吸血鬼になってまだ5年しか経ってねぇ」
謙遜してみる。
「専門家、ヒストリアを倒す方法はあるかも知れないぜ」
あたしから目線をずらし、臥煙さんの方を向いてそう言った。
「そこのお嬢ちゃんがいれば、って事かい?」
忍野さんが、言葉を返す。
「そうだな。予測でしかないが。この中で一番攻撃力があるのはこいつだろう?」
あたしを親指で指すな。と思ったが、言葉には出さなかった。
「しかもこいつレベルの攻撃力があるなら、ヒストリアの細胞そのものにダメージを蓄積できるかも知れない。再生限界・・・これがヒストリアにあるのかは分からないが、彼女も生物なのならあるはず。」
「つまり再生限界が超えるまで殴りまくれば良いんだな!」
何だ単純じゃねぇか。あたしが好きなパターンだ。
「そういう事。シンプルだろ?」
スーサイドマスターが笑う。でもさっきまで討伐は手伝わないとか言ってたのに、どういう風の吹き回しだろう。
「顔に出てるぜ?最強。なに、ヒストリアの最終的な願いは死ぬ事だった。それが可能なら叶えてあげたいじゃねぇか。専門家ならともかく・・・同じ吸血鬼に殺されるってんならまだ本望だろうよ」
普通に良い吸血鬼だった。スーサイドマスターって喋り方が偉そうだから、損してるよな。普通に良いヤツだもんな。
「では決まりだ。詳しい作戦は現地に着いてからだな。明日出発する。」
臥煙さんがそう締めて、会議は終わった。兄ちゃんはやっぱり少し不安そうな顔をしていた。よし後で部屋に行ってやるか。
基本的にあたしは最強だから、傷つくなんて事もあり得ないんだけど、それでもやっぱり兄ちゃんの心配性は治らない。まぁもちろん心配してくれるのはありがたいんだけどさ。
そう思いながらふと外を眺める。城の窓から見える夕焼けがいつも以上に美しかった。
010
「兄ちゃん」
皆が就寝し始める頃、あたしは兄ちゃんの部屋を訪ねた。
「どうした、火憐ちゃん」
「いや不安そうな顔してからさ、大丈夫かなって」
あたしはそう言いながらベッドに座っている兄ちゃんの隣に座る。
「あたしは大丈夫だよ。だから心配しないでくれ。」
「・・・分かってる。いやもちろんお前らも心配なんだけど・・・僕はスーサイドマスターの話を思い出していたんだ。ヒストリアは誰かを生き返らせようとしていたんだろう?」
「ああ・・・言ってた。その為にたくさんの命を殺したって」
「人類を敵に回してまで生き返らせたかった人って誰なんだろうな。」
「うーん、恋人とか、かな?そういやヒストリアだって元は人間だったんだもんな・・・」
なるほど。兄ちゃんらしい。もちろんあたし達の心配もしてくれていたけど・・・
「どうやって吸血鬼になって、どうやってそんな悲しい人生を歩む事になったんだ。僕は・・・ヒストリアと話してみたい」
兄ちゃんは、ヒストリアさえも心配してるんだな。まだ会った事もない、話にだけ聞いた吸血鬼の事を。兄ちゃんらしいぜ。
「そう・・・だな。話せたら良いな。あたしも知りたい。」
あたしは兄ちゃんを押し倒す。ちょっとあれだ。ほら。ムラムラしてきた。兄ちゃんは抵抗しない。
「たくさんの犠牲を払ってでも生き返らせたかった人の事を聞きたい。もし兄ちゃんを失ったとしたらあたしも同じ事するかもだし。」
「物騒だな・・・」
兄ちゃんは笑いながらそう言う。もちろんそんな事しないって分かりきってる顔だ。兄ちゃんの為ならあたしは本気なんだけどな。
「兄ちゃん・・・・」
服を脱いで、兄ちゃんにキスする。久しぶりの兄ちゃんとの時間。ああ、明日から頑張れそうだ。
誰かを失って、喪失感に苛まれて、その人の後を追おうにも・・・自分は不死身の吸血鬼。しかもとりわけ不死力が強い吸血鬼。死にたくても死ねない現実。ヒストリアも寂しかったんだろうな。なんてあたしは想像する。また会った事のない吸血鬼の途方もない長い孤独に思いを馳せる。
吸血鬼の概念がない時代に生まれた吸血鬼。自分で望んでそうなったのか、望まない結果だったのか。それは分からないけど、もし吸血鬼として生まれてきたのなら、それはあまりにも酷い運命なのかも知れない。あたしはまだ幸せだ。一人じゃないから。
幸せだ。
直に触れた体温を心地よく感じながら、あたしはいつの間にか眠りについていた。