044
傷物語。
僕は吸血鬼に会った。血も凍るような美しい吸血鬼に。キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。この時、僕は吸血鬼になったんだ。何とか人間には戻れたけど、キスショットの成れの果て・・・忍野忍と切っても切れない関係になった。僕と忍は一生を添い遂げる関係になった。
白い猫物語。
僕の命の恩人・羽川が猫に取り憑かれた。ブラック羽川って言ってな。そいつを倒すのは大変だっだけど忍のおかげで何とかなったんだ。
化物語。
体重のない女の子と出会ったんだ。それが戦場ヶ原ひたぎだ。彼女を通して僕は蟹を見た。八九寺っていう可愛い女の子がいてな。彼女は蝸牛だった。僕はその日から彼女に迷わされっぱなしだ。
神原には猿の手で思いっきり殴られたな。千石に巻き付いた蛇を剥がす儀式を神社でしたな。再び現れたブラック羽川とも対峙した。あの時はもうダメかと思った。忍がいなければ僕はあそこで死んでいた。
偽物語。
お前の話だよ、火憐ちゃん。お前は貝木に蜂の怪異を処方されたんだ。お前が蜂に刺される話だ。お前に
フルボッコにされたっけ?おい、目を反らすなよ。
月火ちゃんの正体が分かった物語でもあった。ほら、影縫さんって京都弁を話す女性いたろ?お前が僕を肩車していた時だ。あの人は不死身の怪異退治の専門家でさ。月火を狙ってこの街に来たんだ。僕が彼女と戦って月火は例外という事で見逃してくれる事になった。この時、僕はお前や月火ちゃんを改めて大事に思える事ができたんだ。
その後はざっと扇ちゃんが正式に忍野の姪になるところまで話して、僕は自分物語の語りを終えた。
火憐は終始、黙ってそれを聞いていた。こんな静かな火憐は初めてだ、というくらいにこの時の火憐は大人しかった。
045
「これくらいかな・・・僕の物語は」
「・・・すげぇな。さすがはあたしの兄ちゃんだ」
火憐は笑顔でそう言った。自慢げに、誇らしくそう言ったのだ。
「兄ちゃん。月火ちゃんは不死鳥なんだろ?」
「ああ、そうだよ。」
「不死鳥ってのは、炎の中に身を投じて、灰になり、また復活するんだよな」
「・・・そういう話だな。」
火憐は少し考えこんでそのまま黙った。こんなに静かな火憐も珍しいものだ。
「なんだよ、黙って・・」
「んー・・・いや・・・ちょっと何か思いつきそうで・・・」
火憐はそのまま胡坐をかいて座り込み、目を閉じた。こいつの頭の中で、何がフル回転しているのだろう。怪異という非現実を必死で受け止めようとしているのか?もしあの時、キスショットに出会ったのが僕ではなく火憐だったのなら、それはもはや最強じゃないのか。こいつのこのパワーで更に吸血鬼になるんだろ。怪異の王どころか怪異の神じゃないのか。良かったな、忍。あの時お前を見つけたのが僕で。
そう僕なんだ。怪異に出会ったのは僕で・・・阿良々木火憐ではないのだ。今まで日常で生きてきたこいつが非日常を受け入られるものなのか・・・。
5分くらい考え込んで、火憐は何か思いついたようにいきなり眼をくわっと開けた。
「兄ちゃん!」
「・・?・・なんだよ。」
「あたしとデートしよう。」
「・・・は?」
「デートだぜ。デート。」
5分考えて出した答えがそれ!?ダメだ。こいつやっぱりバカだ。
「お前・・・」
僕が何か言い出すのを遮って、真剣な目で、まっすぐ僕を見つめて火憐は言う。
「デートしよう。兄ちゃん」
「・・・お、おう・・・」
そのあまりにも真剣な目に僕は気圧されて、うっかり火憐のデートの誘いに応じたのだった。夕焼けも焼け終り、空には星が輝きだしていた。
046
夕焼けが綺麗だった。
僕と火憐はそんな夕焼けを背景に街を歩く。火憐はどうやら目的地があるようで、そこに向かっていた。ただどこへ行くかは教えてくれなかった。
僕と火憐はまるで恋人のように手を繋いで歩く。途中、繋いだ手と手を離す事はなかった。そして目的地にたどり着くまで僕らが会話をする事はなかった。
「ホームセンター?」
目的地にたどり着いてその光景を見て、僕はそう呟いた。ここはホームセンター。地元で割と大きいホームセンターでだいたいのモノが揃っている。
「ここで何を買うんだ?」
「良いから、良いから」
と火憐は店に入っていった。そして店に入って、ペットコーナーや家電コーナーを普通に回って、「あれ良いな」「これ欲しいな」とか普通に同居直前のカップルみたいなデートを楽しんだ。そのまま店内を歩き回り、ふと火憐が立ち止った。そこは「火気厳禁」と書かれた場所で、火を起こす道具やそれこそ石油も売っている場所だった。ホームセンターで石油が売ってるのもすごい事だと思うが、そこは突っ込まない事にした。
「何だ、ここで何を買うんだよ?」
と僕が当たり前の疑問を口にする。すると火憐も当たり前のような顔をして、
「燃やすものを買うんだぜ。」
と言った。だから何でそんなものを買うのかを聞いたつもりだったが・・・火憐のいつになく真剣な顔に聞き直す事ができなかった。
火憐は少し間を空けて、そして僕の方をじっと見る。そして覚悟を決めたかのようにこう言った。
「灰になろう。兄ちゃん」
047
僕は、ここまで真剣な火憐を今まで見た事がなかった。ここまで真っ直ぐに火憐が僕を見つめた事はなかった。火憐の瞳に僕が映る。それくらい火憐は僕を見据えていた。
「灰になろう。」
それは、そんな火憐がようやく紡いだ言葉だった。
「は・・・?」
「いやだからさ、月火ちゃんはきっと灰なんだ。この世界では灰になってるんだ。」
「待て待て、よく分からん。」
「不死鳥って死んだら灰になるって言うだろ?」
「まぁよく言うよな・・・」
「だからあたし達も灰になって、月火ちゃんと一緒になるんだ。」
火憐は、意味の分からない事を続ける。
「あたしらも灰になろう。そしたらきっと月火ちゃんに会える。」
「・・・お前、マジか。それはつまり」
焼身自殺するって事だ。こいつは僕に一緒に死のうと言っているのだ。一緒に炎に焼かれて、死んで、灰になって、月火ちゃんと同じようになろうと言うのだ。
この世界には月火はいない。
「いや兄ちゃん、月火ちゃんは初めからいなかった訳じゃねぇだろ。病気で死んだんだ。」
「・・!」
そうだ。月火は初めから存在していなかった訳じゃない。確かに生まれた。母親の胎内に。そしてそこから出る事なく死んだのだ。灰になったのだ。
「そう、死んだんだ。つまり月火ちゃんは今も灰になっている。だからあたしたちも灰になるんだ」
「・・・」
「灰になって、同じ身体になって、月火ちゃんを探そう。」
「・・・」
それは精神論だ。灰になってどうやって月火を探すんだよ。火憐が言っている事は同じ状況になって心は一つになるって言う精神論だ。でもそんな事は火憐も分かっているようで、ただただ真っ直ぐな瞳で僕を見つめたまま
「一緒に死のう。兄ちゃん」
と火憐は笑顔でそう言った。こいつは今、その言葉をどういう心境で言っているんだろう。ここが夢だから楽観的に考えてるのか?いや違う。もし僕たちが死ぬ事がハッピーエンドじゃなかった場合、夢から覚めた僕たちは、本当に焼け死ぬ。そもそも自分たちが死んで灰になり、それでハッピーエンドになんかなる訳がない。
そんな事は分かっている。分かっているつもりだ。でも・・・僕はこの世界で生きていける自信はなかった。もしこのまま何もせずに夢が覚めるのを待って、悪夢が現実になったその世界で僕は生きていける自信がなかった。
ひたぎは中二病で、神原は願いの重さを知らない、千石は神様にならず、八九寺はすでに死んでいる。そして何より。忍と月火がいない。一生を添い遂げると誓った忍と、一生面倒を見ると信じた月火がいない。そんな世界、そんなくだらない世界は僕には耐えられない。
ひたぎが重し蟹に行き遭ったから、僕は彼女を救う事ができた。ひたぎに出会えたから神原とも出会えた。八九寺が迷い蝸牛になっていないと、僕は彼女とも会えない。千石が蛇切縄に巻き憑かれたから、僕は彼女を思い出し、羽川が障り猫に触られたから、僕は彼女を大事に思えた。
それら全てがなくなってしまった世界なんて、僕は耐えられない。どっちにしろ、死ぬんだ。
僕は火憐の手を握った。
「分かった、火憐ちゃん。一緒に死のう」
僕は覚悟を決めてそう言った。お前の最後が僕で悪いな、と火憐に追伸したが、火憐は僕に抱き付き、
「いや兄ちゃんが最後で良かった。兄ちゃんが一緒ならあたしはどんな死も怖くねぇ」
と迷わずそう言ったのだった。
ここが終着駅なのだ。僕の、火憐の人生が電車だとすると、ここが終着駅なのだ。まだ先に駅は、残っている。後輩の神原や、海外にいる羽川。まだ話せてない駅がたくさんある。ひたぎとの結婚という駅も。でもそれはまた今度にするよ。もし元の世界にハッピーエンドで戻れたら、その時にまた切符を買うとするよ。だからとりあえずは、僕の、阿良々木暦の終着駅はここにするよ。
048
閑話休題
049
僕と火憐は、月火の部屋にいた。この世界ではただの物置になっている月火の部屋。両親はまだ帰ってきていなかった。この家には僕と火憐だけで、この部屋には僕と火憐だけだった。
両親は驚くだろうな。何か申し訳ない事をしている気分だ。
火憐が灯油を部屋中にぶちまけた。そしてそのまま僕に灯油をかける。
ああ、やべぇ。走馬灯が蘇る。そう言えば、神原とも同じ状況になった事があるな。あの時は一緒に死ぬと決めたのは忍だったはずなんだけど。蓋を開けてみれば・・・人生ってのは何が起こるか分からねぇな。その一緒に死ぬ相手がまさか妹の火憐だなんて。出来損ないの物語にも程がある。
頭から灯油をかぶる火憐を見ながら色々な思い出をフラッシュバックする。
僕の人生は幸せだったろうか。
そんな疑問がふと浮かんだ。だが目の前の火憐がこっちを向いて僕の手を取り、
「兄ちゃん・・・」
と笑顔で呟いた時、僕は確信した。
僕は幸せだったのだと。
050
僕がマッチに火をつけ、それをそのまま床に落とす。床に落ちたマッチの火は瞬く間にその火力を上げあっという間に部屋全体を火の海にした。もちろん僕と火憐も火の海に飲み込まれる。
「兄ちゃん、月火ちゃん、大好きだ」
火憐の声が聞こえた。僕は火憐を抱き締める。きっと今まで最も強い力で抱き締める。灰になっても、決して離れず、月火の元に行けるように。もし月火に出会えても今度はお前がいなくなったんじゃ、意味がないからな。
僕たちは炎に包まれる。吸血鬼になどなっていない僕と、蜂になど刺されていない火憐はそのまま炎の中に巻き込まれた。
意識が遠のいていく。不思議と熱くはなく、痛くもなかった。先に動かなくなったのは火憐だった。かろうじて形を保っている火憐であった炭は僕の意識が消える前に音もなく崩れ落ちた。
その後の記憶はない。僕も火憐と同じように音もなく崩れ落ちたから。
阿良々木暦と、阿良々木火憐は、不死鳥のごとく炎に包まれ、夢を見るように、その鼓動を消したのだ。
051
ぐちゃぐちゃになる。何も分からなくなる。自分で自分を認識できない。体構造を維持できない。
心は?記憶は?僕はどこで、どんな姿で、どんな事をしているんだ?
暗闇が世界を支配する。
052
ピピピピピピピピ。
時計の音が、朝を告げる。
うるせぇ。律儀に毎回鳴りやがって。たまにはサボれよ。
遅刻した時の言い訳として、「時計が壊れててアラームが・・・」って理由はかなりメジャーだと思う。そういう場合、目覚まし機能のセットし忘れがほとんどで、実際壊れていたなんてケースは稀な訳だが、それでも寝坊の言い訳としては至極理解されやすい言い訳だと思う。
ん?このセリフ、前に言った事があるな。いつだっけ?結構最近だった気がするのだが・・・
「・・は・・っ!」
いくつもの回想を挟んで、僕は目を覚ました。
「・・・ここは・・・」
僕の部屋だった。いつも通りの僕の部屋。横を見ると火憐が気持ちよさそうに寝ていた。
「戻って・・きたのか・・・?」
僕の身体が震えだす。冷や汗も。この世界が元の世界なのかどうかを理解するのが怖かった。月火がいるかどうかを確認するのが怖かった。
寝ている火憐を起こさず、僕はベッドから降りて、自分の部屋を出る。廊下はとても寒くて、床は氷の上を歩いているかのように冷たかった。僕は白い息を吐きながら、月火の部屋の前に行き、ドアを開けようとした。
「・・・先にリビングに・・・」
僕は部屋を開けるのが怖くなった。また物置になっていたら僕はもう立ち直れない自信があったからだ。だからそのまま月火の部屋は開けず、リビングに続く階段を降りる。
階段を1段下がる度に自分の胸の鼓動が高鳴るのを感じた。寒いってのに汗は止まらない。身体は震える。これは寒いからじゃない。怖いからだ。
リビングのドアの前に立つ。部屋の中からはテレビの音が聴こえた。誰かがいる事は確実だった。僕は息を呑み込んで、恐る恐るドアを開けた。
と、そこには少女がいた。テレビをつけて寝転びながらそれを見ている浴衣姿の少女がいた。
「あ、お兄ちゃん。おはよ。」
僕の震えは止まらなかった。でもこれはさっきまでの震えとは違う。滴が床に落ちる。これは汗じゃない。
「つ、月火ちゃん・・・」
「え、お兄ちゃん!?なんでいきなり泣いてるの!?」
僕は月火にダイブした。月火を思いっきり抱き締めた。
「え!?え!?何、何かな?お兄ちゃん・・・?」
僕の涙は止まらない。
「月火、月火、月火・・・!」
最初こそ驚いていた月火だが、すぐに落ち着きを取り戻し、
「怖い夢でも見たのかな?よしよし、お兄ちゃん。」
僕の頭を撫でる。僕は泣いた。大人気もなく泣きじゃくった。子供が駄々をこねるように泣いた。力の限り泣いた。悲しいからじゃない。嬉しいからだ。
月火は、僕を抱き返し、「よしよし」と僕の頭を撫で続ける。
と、その時、後ろの方でギィとドアの音がした。僕は振り返らなかったが、月火がそっちの方を見た。
「・・・月火ちゃん・・」
そこには火憐が立っていた。涙目で立っていた。今にも決壊してしまいそうな潤んだ瞳で月火を見つめていた。
「火憐ちゃん・・・?」
火憐はその瞬間、決壊した。大粒の涙を流しながら、月火にダイブをした。その勢いたるや捨身タックルのような威力だった。月火は「うげ」とカエルのようなうめき声を上げた。
火憐の方はと言うと、月火と僕をまとめてがっちりホールドして、今までにないくらいしっかりと抱き締めた。
「ほえ・・・?」
訳が分からないと言った感じで月火は僕らに抱き付かれている。
「よかった、良がっだよぉ・・・月火ちゃん・・・」
火憐もまたお菓子を買ってもらえない幼稚園児のように顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
僕たちはそのままずっと月火を抱き締めながら泣きじゃくった。
「ふ、二人とも・・・どうしたの?私が死ぬ夢でも見たの・・・?」
月火は終始慌てていた。こんな慌てている月火を見るのは初めてだった。
053
僕も火憐も泣き止んで、ようやく落ち着いたところで
「さて、説明してよ。二人とも」
と月火がそう言ってきた。無理もない。当然の疑問だ。
「えーと・・・」「えーと・・・」
僕と火憐はお互いに顔を見合わせた。心の中で「言っていいのか?兄ちゃん」「分からん!どうする?火憐ちゃん」と会話した後、意を決して僕は月火に語ろうとした瞬間、
「はぁ。とりあえず私、お風呂入ってくるからさ。上がってくるまでに話す事整理しといてね」
とこちらの気持ちを汲んでくれたのか、月火はすくっと立ち上がり、お風呂に消えていった。
「・・・どうするんだ、兄ちゃん」
「・・・話すしかない。だがその前に火憐ちゃん、僕の言った事を信じているのか?」
火憐は笑顔で、
「当たり前だろ。兄ちゃんの言う事なんだ。信じる以外の選択肢なんてねぇ」
と言う。我ながらに「何だ?この信頼度」と思いながらも僕はある決心をした。
「火憐ちゃん・・・その前に紹介したい奴がいるんだ。」
「おっ!誰だよ?」
火憐はどんな化物が来ても大丈夫だぜ!って感じの笑顔だった。僕はタメ息をつきながら、名前を呼ぶ。僕が迷い込んだ世界では、月火と同じで存在そのものがなくなっていた怪異。僕が一生を添い遂げると誓った少女の名を。
「忍!!」
反応はない。
「兄ちゃん?」
「いや、ちょっと待って。今は朝だからな。」
と僕は一旦、深呼吸をした。少し怖かったんだ。月火はこの世界にいたけど、忍はどうだろう?ちゃんと戻ってきているのだろうか、と。だからその恐怖心に抗いながら、僕は改めて名前を呼ぶ。
「忍ちゃん!!?ミスタードーナツがあるぞ!起きろ!忍!」
その瞬間、僕の影から金髪の少女が現れた。
「ぱないの!」
「・・・!!」
一番、驚いているのはやはり火憐だった。
「おぱやいの。お前様。どうしたの・・・じゃ・・?」
忍はどうやら一連の事件を知らないらしく、いつも通りの調子で、僕に語り掛けようとしたが。僕の横にいる火憐を見て、言葉を詰まらせた。
「・・・」
火憐は黙っている。
「お、お前様・・・?巨大な妹御がおるではないか。儂、出てきても良かったのか?・・ってわぶ!!?」
次の瞬間、火憐が忍を抱き上げた。
「か、可愛い!!!なんだこれ!兄ちゃん!この子、めちゃ可愛いじゃねーか!」
火憐は忍を抱き上げ、抱き寄せ、頬を自分の頬でスリスリする。
「な、何じゃ!?うぬは!離せ!離さんか!!」
忍は必死で抵抗するが、幼女の力では火憐には全く敵わなかった。
「火憐ちゃん、とりあえず離してやってくれないか?ちゃんと紹介するからさ。」
「あ、おう。悪かった。」
と、火憐は頬ずりを止めて、忍を抱いたまま座り込んだ。
「・・・まぁ・・いいや・・・。忍、今お前を抱いているのが阿良々木火憐。僕の妹だ。」
「知っておるわ。それくらい。」
忍は少し不機嫌だった。まぁ寝起きにいきなり抱き付かれて頬ずりされたら機嫌も悪くなる。
「火憐ちゃん、紹介するぜ。こいつは忍野忍。吸血鬼で僕の影に住んでいるんだ」
「兄ちゃんが言ってた吸血鬼の女性だな。可愛いぜー!」
「な、お前様!?こやつに儂の事を話したのか?」
「まぁ・・・話さなきゃいけない状況に陥ってな。」
火憐が忍の頬を指でつんつん突いている。忍は気にするのを止めたようでされるがままだ。
「なんじゃ?説明せい。」
忍は火憐に抱きかかえられたままで、それでも吸血鬼らしく堂々と、そう言ったのだった。
054
僕と火憐は、忍に怪異がいなくなったこの事件の事を説明した。忍はやはり博識なようで、
「獏か・・・また厄介な怪異に目をつけられたのぅ」
とすでに状況を理解しているようだった。
「まぁよく戻ってきたの。さすがは我が主様じゃ」
「かっけぇな、吸血鬼!」
と火憐がいかにもバカが言いそうな事を言っていたが僕も忍もスルーした。
「それで、今から極少の妹御にも今回の事と、お前様の今までのエピソードを語ろうという訳じゃな?」
「ああ、理解が早くて助かる。大丈夫かな?」
「儂は構わんよ。勝手にせい。儂は寝る。ドーナツもないようじゃしな。」
忍は「ふわぁ~」と欠伸をして、影に入ろうとした。
「ドーナツなら、あたしが後で買ってきてやるよ!忍ちゃん」
と火憐が胸をドンと叩いて、誇らし気にそう言った。それに対して忍は落ち着いた様子で、
「本当か?それはありがたい。期待しておるぞ。」
と言って僕の影に消えていった。
ちょうど月火ちゃんがお風呂から上がる音が聴こえた頃だった。
055
その後、お風呂から上がってきた月火に、僕と火憐は一連の事を話した。
僕が吸血鬼に出会った事と、そしてその後の話。全てを。
怪異にまつわるストーリーを妹たちには話すまいと決めていた僕だが、まさかこんな所で話す事になるとは。
「えええええーー!!!!」
月火は驚いた。当たり前だよな。自分が怪異そのものなんて、知ったらそりゃ驚くよな。
「ということは・・・あいつーーー!!!!」
と、月火は何故か燃えるようなテンションで、すさまじい速度で、階段を駆け上がり自室に入っていった。何事かと、僕と火憐はそれを追いかける。
「うぉい!!!お前!!!」
と自分の部屋に入った月火が声をかけたのは、斧乃木余接だった。もちろん斧乃木ちゃんは月火の前では人形に徹しているから、動かないし、月火の呼びかけに反応しない。
ていうか、月火は自分が怪異そのものであり、不死身である事より、自分の部屋の人形が怪異で、意思を持っていたという事の方が驚いているようだ。
「いや!もう知ってるから!お兄ちゃんに聞いたから!お前が怪異だって事も!」
「・・・」
斧乃木ちゃんは反応しない。
「おい!死体の怪異!!」
「・・・・」
「抹茶のアイスを食わせるぞ!」
「お前、ぶっ殺すぞ」
斧乃木ちゃんが反応した。そこで反応するの!?抹茶のアイスそんなに嫌いなの!?
「斧乃木ちゃん・・・今まで人形のフリして私を監視してたんだって?」
「・・・違うよ。僕は今、さっきちょうど意思を得たんだよ」
月火は斧乃木ちゃんの顔を掴んで、むにむにしながら、
「いやだからもうお兄ちゃんに聞いたんだって!色々!!」
「・・・鬼いちゃん・・・とんでもない事をしてくれたね。」
と斧乃木ちゃんが僕の方を睨みつけてきている。月火は後ろで、
「やべぇ。じゃあ私が言ってた独り言とかは全部こいつに聞かれていたのかぁぁ!?」
と頭を抱えながら悶えていた。そんな恥ずかしい独り言を言ってたのか、こいつは。
「ああ、うん。お前の独り言についてはしっかり僕の記憶に保存してある。いつでも開く事はできるけど、開く?」
「開くかー!後、お前って言うな!」
月火は斧乃木ちゃんの頬を掴み思いっきり引っ張った。だが斧乃木ちゃんは痛みを感じないので、大して気にする素振りも見せず、斧乃木ちゃんは僕の方を向いて、
「ほら。こういう事になるから正体バレたくなかったんだ」
とそう言った。
「悪い。でも仕方がなかったんだ・・・」
「臥煙さんから聞いている。怪異がなくなった世界に迷い込んでいたんだろう?そしてこいつがいなくなったから焦っていたんだろう?」
「こいつって言うな!!」
月火が怒鳴る。
「でもさ、怪異そのものってこいつだけじゃないよね。僕もだよね。僕がいなくなった事に気づきすらしなかったみたいじゃないか」
「・・・・えーと・・斧乃木ちゃん・・・」
「ねぇ、鬼のお兄ちゃん。僕も怪異だからいなくなっていたんだよ。気づいてくれたかな」
僕は冷や汗を流しながらごまかそうとして、ついにごまかすのが無理だと分かり、土下座した。
「ごめん!斧乃木ちゃん!忘れてた!!」
「まぁ良いんだけどね・・・。僕は僕でこちらの世界で役割があったし。別に鬼いちゃんの妹にバレるのも今となっては問題ないみたいだし」
と、ここで斧乃木ちゃんの顔をむにむにしていた月火が斧乃木ちゃんを解放し、僕の元に駆け寄ってきた。
「ま、とりあえず色々と整理できないけど・・・ありがと。お兄ちゃん、火憐ちゃん。私を探し出してくれて。私を見つけてくれて。ありがとう」
と満面の笑顔でそう言った。
「ちょっと外の空気吸ってくるね。整理してくる」
と月火はそう言って、階段を下りて行った。
そこに残されたのは、僕と火憐と斧乃木ちゃんだけとなった。最初に口を開いたのは斧乃木ちゃんだった。いつもと変わらない無表情さで、
「やぁ、カレンダー。こうして話すのは初めてだね」
「お、おう。初めてだな・・・!」
火憐がめっちゃ緊張している。火憐も結構驚いているようだ。今まで人形だと思ってたやつがいきなり喋って動き出すんだもんな。そりゃビビるわ。
「何はともあれ・・・お帰り。鬼いちゃん・・・、カレンダー。僕はお前たちの帰還を嬉しく思うよ」
と相変わらずの無表情で、淡々とそう言った。
これからは斧乃木ちゃんも人形のフリをせずに悠悠自適に暮らせる訳か。良かったじゃないか、斧乃木ちゃん。またアイスクリーム差し入れてやるよ。
と僕が未来の斧乃木ライフを想像していると、
「鬼いちゃん、カレンダー。げつかを追いかけなくて良いの?」
といきなりこんな事を言った。
「げつか?・・あぁ、月火ちゃんの事か。なんでだよ、外の空気吸う為に出かけただけだろ?」
「鬼いちゃん。鬼いちゃんが夢の世界から抜け出す為の条件、ハッピーエンド。鬼いちゃんはこの世界に帰ってきたけど、獏っていう怪異の能力は、別にハッピーエンドを迎えなくても、元の世界には戻れる。ただしペナルティがあるだけで。」
僕と火憐は冷や汗を流し始めた。そんな僕たちに構わず斧乃木ちゃんは、無表情なままこう告げた。
「お前たちが選んだ最後がハッピーエンドだとは限らない」
056
『もし君たちが選んだその選択が間違いだった場合、夢の世界に近づくように徐々に改変が起こるはずだ。順番が分からないが、怪異はくらやみなどと違って物理法則を無視はできない。つまりいきなり怪異をなかった事になんてできないし、すでに存在している君の妹を消す事もできない。』
と電話の臥煙さんはそう言う。あれ、じゃあ結局、大丈夫なんじゃないですか?
『甘いよ、こよみん。だから獏は物理的に君の妹を殺すはずだ。逆に言えばそれさえ止めてしまえば。他の改変も起こらない可能性がある。要は簡単だ。こよみん。君が獏という怪異を退治すれば良いんだ。だが気を付ける事だ。獏は夢を現実にする。その物質創造能力は、キスショットに近いものだ。』
その言葉を受けて、僕は今、火憐と協力して月火を追いかけている。もちろん忍も一緒だ。忍がまず月火を探す。
かつて火憐を血の匂いで探したのと同じで、月火を探す。
すぐに月火の場所を突き止めた忍は、
「学習塾じゃ。儂は先に行っておるぞ」
と一言。すさまじいスピードで走っていった。
「兄ちゃん、あたしも先行くぞ!」
と、火憐がいきなりスピード上げ、これまたとんでもない速度で走って行った。
せっかく月火を取り戻せたんだ。それなのに、月火を殺されてたまるか!僕は走る。絶対に失いたくないものを守る為に。僕は走る。
057
学習塾跡についてみたら、やはり学習塾は存在せず、立ち入り禁止の看板があるだけの空き地だった。その光景は、この世界に怪異が存在して、羽川の虎が学習塾を燃やしたという事実を告げていた。
なので今この場所は広大な面積がそのまま空き地になってあり、少しばかりの残骸が残っているだけだった。もちろん立ち入り禁止である。
そしてその空き地の真ん中には180cmを超える赤いドレスの女性が立っていた。まさにその姿は全盛期の忍。いやキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだった。
「!!!」
僕はまずその美しいキスショットの姿に見惚れたが、その横に倒れている忍を見て、そのキスショットが本物ではないとすぐに理解した。
「お前・・・獏か。」
僕がキスショットらしき女性にそう問うと、
「かか・・・いかにも」
と笑いながらそう言った。そうこいつは獏が、キスショットの姿になっているだけだ。本物じゃない。
おそらく不死であるしでの鳥を余裕で殺す事ができる存在をイメージした結果が怪異の王であるキスショットなのだろう。獏はそれをイメージして具現化したのだ。ここで電話で付け加えるように臥煙さんが言っていた事を思い出した。
『獏は、神クラスの怪異だ。怪異にはたくさん種類がいる。人に対して何もできないくらい弱い低級怪異もいれば私たち専門家ですら苦戦する上級怪異、更にはかつての蛇神となった千石撫子のようにその気になれば世界を簡単に壊してしまう程の力を持った神クラスの怪異。それこそ多種多様だ。その中で獏は、神クラスに位置している怪異だ。人の悪夢を実現させる程の世界改変能力を持ったその特性は神クラスのそれだ。もちろん怪異をクラス分けしたとしたら頂点に君臨するのはやはりキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだが、それに近い力を獏が持っているのも確かだよ』
と。
だがその頂点に変身するとは思わなかった。偽物で、ハリボテみたいなのだろうが、その力は本物のようで、獏は忍を圧倒し、その右手を高らかにあげ、火憐の首を絞めていた。更にその後ろには月火が倒れていた。
その光景を見た僕は、当然の事ながら冷静さを失ってしまい、
「てめぇ!火憐を離せ!!」
と考えもなしに獏に向って行った。
「よせ!逃げろ、兄ちゃん!!」
ここはさすがに火憐。相手との力量の差をしっかり把握しているのだろう。僕では勝てないと思っての冷静な判断だ。だがその火憐の声も虚しく、次の瞬間・・・僕は何かに斬られた。
偽キスショット・・・つまり獏が怪異殺しの刀・心渡を想像し、僕を斬ったのだ。
「とは言っても、ただの模造刀じゃ。怪異殺しの力などない。」
と獏はそう呟いた。つまりただの刀。
怪異だけを斬り、人は斬らない心渡ではなく、人を斬るただの刀。僕はそれに斬られた。僕は普通に傷を負う。
いや大丈夫だ、僕は再生する。これでも吸血鬼性は残っているんだ・・・。
だが次の瞬間、獏は、その刀を突き刺したのだ。
何に?
火憐に。
火憐の腹部に。
「がはっ」
火憐が血を吐いた。だが血を吐きながらもしっかりと火憐は僕を見つめ
「に、兄ちゃん・・・」
とそう言った。
「うわぁぁぁぁ!!!火憐!!!!」
僕は叫ぶ。力の限り叫ぶ。だが動かない。まだほとんど身体は再生していない。根性の問題じゃない。物理的に動けない。
そして獏は、突き刺した刀をそのまま横に振る。火憐の身体が真っ二つになって下半身が落ちた。
「火憐!!!・・ふ、ふざけんな!お前、お前許さねぇ!!」
獏は僕の事を無視し、火憐を僕の方へと投げる。上半身だけになった火憐が僕の側にボトッっと落ちた。血まみれだった。
獏は倒れて動けない忍の横に落ちている本物の心渡を拾い上げ、今度は月火の元へ向かう。
「!!よせ!やめろ!!」
僕は叫ぶが、やはり意味をなさなかった。月火の側に着いた獏は、心渡を月火の頭に突き刺した。怪異を殺す刀。怪異そのものの月火。相性は最悪だった。
「うわぁぁぁぁ!!!」
「うるさいのう。男なら黙って死んでおれ」
と獏はその心渡を僕に向けて投げた。心渡が僕の心臓に突き刺さり、僕は大量の血を吐く。もうダメだ。
ふざけんな。こんな終り方があるかよ。
僕は全てを失うのか・・・。
と、絶望し、僕が全てを諦めようとした時・・・上半身だけの火憐が動いた。手でずりずりと僕に近づいてくる。
「・・・火、火憐・・・?」
「・・・・」
火憐は何も言わず、今にも死にそうな動きで、最後の力を振り絞って、僕の身体に覆いかぶさった。そして僕の血を舐めた。
「・・・・!!」
僕の心臓から溢れ出る血を飲んだ。大量に、大量に。次々に溢れてくる僕の、吸血鬼の血を火憐は全て飲んだ。
ゴクゴクと、まるで水に飢えていた砂漠の遭難者のように。火憐は僕の血を飲んだ。
058
ドクン。
と何かが覚醒した音がした。それはきっと始まりだ。
何の?
最強の。
世界に数多く存在する怪異。意思を持たない怪異もいれば、意思を持つ怪異もいる。最強の吸血鬼、怪異の王キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード程ではなくても、上位に君臨する怪異というのが世界中を見ればたくさんいた。
怪異の中でも上位の怪異。群雄割拠の怪異の世界で、神にも近い怪異たち。
彼らが「それ」を察知した。圧倒的な神格性、力、能力を持つからこそ分かる自分と同等かそれ以上の存在の誕生。彼らは、それを察知し、確信したのだ。
王が生まれる。と。
059
その時、遅れてやってきた斧乃木ちゃんが、僕の血を大量に飲んだ火憐を見て、
「マジか・・・」
と呟いた。わずかに震えているようだった。あの斧乃木ちゃんが。
真っ二つになり落ちていた火憐の下半身が一瞬で蒸発し、僕の血を飲んだ火憐の上半身から、下半身が服と同時に生えた。これは、吸血鬼の再生だ。しかも服も同時に再生するというのはキスショットの・・・怪異の王と同等の再生力だ。
「火憐ちゃ・・・ん・・・」
下半身が再生し、ゆっくりと立ち上がる火憐を僕は見上げた。火憐の瞳は赤くなり、少し開いた口から尖っている牙が見えた。
「兄ちゃん。もう大丈夫だ。」
と一言残し、獏の方に目をやる。そして次の瞬間、僕の視界から火憐は消えて、気づいた時には獏を、偽物のキスショットの顔を思い切り殴っていた。
「がはっ!!」
獏は勢いよく地面に叩きつけられた。その衝撃で地面にバキバキとヒビができる。何という力だ。阿良々木火憐と吸血鬼の組み合わせ・・・これひょっとして最強なんじゃねぇか?
すさまじい衝撃で叩きつけられた獏だったが、すぐに態勢を立て直し、火憐から距離を取る。そして月火の頭に刺さっている心渡を抜き、構えた。
それを見て、火憐は臨戦態勢を取る。次の瞬間、獏は一瞬で火憐の懐に入り込み、すさまじい速度で心渡を振るった。
「火憐!!」
僕は火憐がやられると思い、思わず叫んでしまった。だが、それを掻き消す程の大声で、
「それがどうしたぁぁぁ!!!」
と火憐は叫び、足をしっかりと踏み込んだ上で、心渡に拳をぶつけた。その瞬間、すさまじい音が響き、直後に偽キスショットの180cmの巨体が上空に吹っ飛んだ。もちろん心渡は粉々に砕けていた。
「・・・」
僕は言葉を失った。横で忍も口をぽかんと開けていた。その後ろで斧乃木ちゃんも口をぽかんと開けていた。というか言ってしまえば、僕ら3人、全員が口をぽかんと開けていた。
場面は戻り、上空に吹っ飛ばされた獏。かなりのダメージを受けていたようで、痛みにもがきながらも何とか態勢を立て直そうとする。
だが対する火憐は、上空を見上げ、獏をロックオンするとそのまま跳躍。軽く50m以上は飛び上がり、一瞬で獏のところに。態勢を立て直し切れていない彼女の腹部に一撃。
ドン!という音と共に獏が地面に直撃する。その衝撃で、とうとう地面が割れる。獏はすさまじい衝撃とその反動で身動きが取れないらしく、なにやらもがくだけだった。そして空中から地面に降り立った火憐が、更にもう一撃。
「!!!」
今度は地面が裏返った。再びすさまじい衝撃が起こる。砂埃が大量に舞う。
「・・・火憐ちゃん・・・」
僕は息を飲んで、そう呟いた。
砂ほこりが晴れると、そこには動かなくなった一匹の動物が倒れていた。偽キスショットではなくただの四足歩行動物。
「あれが、獏の正体・・・」
僕は唖然として、そう呟くだけだった。横で再生し、動けるようになった忍が、
「あやつ、全盛期の儂より強いかも知れん」
と冷や汗にも似た汗を流しながらそう呟いた。
「・・・」
火憐は敵が動かなくなったのを確認して、その後、月火の近くに寄り、月火を抱きかかえてその首元に自分の牙を立てた。
「!!」
一切の迷いもなく、躊躇も、躊躇いも見せず。火憐は月火の血を吸った。するとその瞬間、月火の頭部から流れていた血は蒸発し、頭部の傷も一瞬で消え去った。火憐は月火を吸血鬼にしたのだ。
忍が僕の血を吸い、僕の傷を再生し、学習塾跡の空き地に広がった血の惨劇は跡形もなく消えた。血が全て蒸発した。
その場に残ったのは、傷を再生中の僕と、忍と、傷が完全回復し、気を失っている吸血鬼の月火と。展開に若干着いていけず棒立ちしている斧乃木ちゃんと、もしかしたら怪異の王よりも強いかも知れない最強の吸血鬼・阿良々木火憐だけだった。
火憐は空を見上げていた。格好つけているのかいつもの黄色い上着を腕を通さず羽織っている。風がそれをなびかせ、その風格はまさに王だった。赤くなったその眼で火憐は何を見ているんだろうか。
僕には全く分からなかった。
060
「驚いたよ・・・まさか阿良々木兄妹、全員が吸血鬼になるなんて。」
さっきまで口をぽかんと開けていた斧乃木ちゃんがようやくその口を閉じ、そんな事を言った。
「僕も驚いたよ。」
「儂もじゃ。」
三者三様でそんな言葉しかなかった。100年生きた人形と、500年生きた吸血鬼と、現代の男子高校生の語彙力を持ってして出た言葉はそれだけだった。語彙力の低さに涙が出るぜ。
「でも火憐ちゃん、お前・・・分かっているのか。吸血鬼は・・・」
「分かってるよ。不死なんだろ?仕方ねーよ。死ぬよりは良いだろ」
火憐はまだ目覚めない月火を抱えたまま、「にしし」と笑った。事の重大さも分かっているようだった。分かった上で、大して気にしていないようだった。
「鬼いちゃん。カレンダー・・・感傷に浸っているところ悪いけど。とりあえずすぐ逃げた方が良い。」
「あ、なんでだよ?」
「確かに鬼いちゃん達は助かった。九死に一生を得た。それでもその代償は大きい。鬼いちゃんだけでなく妹2人まで吸血鬼になった。そして無害認定を受けている鬼いちゃんとは違い、カレンダーもげつかも無害認定を受けていない・・・お姉ちゃんが来る前に・・・」
と流暢に喋っていた斧乃木ちゃんが口を止めた。
「ウチが来る前に逃げ出さなあかんかったな。見つけてもたら見逃せへんから」
と影縫余弦が現れた。不死身の怪異退治を専門とする暴力陰陽師。
「お姉ちゃん・・・ちょっと・・・」
「黙っとり、余接。」
と珍しく僕らの事に対して、フォローを入れてくれようとした斧乃木ちゃんをシャットアウトし、影縫さんは僕らの方を見て、
「不死の怪異は、ウチの敵や・・・」
と臨戦態勢でそう言った。
「か、影縫さん!ちょっと待ってください!僕らは・・・」
「鬼のお兄やん。ちょっと待っても何もあらへんって。あたしは不死身の怪異の専門家で、おどれの妹たちは不死身の吸血鬼や。しかもお兄やんとは違って、100%純血の。それを見逃す訳あらへんやろ。」
すさまじい気迫だった。怖ぇ!影縫さん、怖い!僕は軽く漏らしてしまいそうな尿意を我慢し、反論しようとしたが、その瞬間。影縫さんとはまた別のすさまじい気迫が場を支配した。
「!!」
影縫さんも一瞬、驚く。そのすさまじい気迫は、火憐からのものだった。
「・・・あんたがこの前、月火ちゃんを殺そうとしてた専門家ってやつか。」
僕が怪異の話を火憐にした時、当然ながらしでの鳥にまつわる一連の出来事も火憐に話していた。それに火憐と影縫さんは一度会っている。火憐が僕を肩車しながら街を歩いている時だ。
「まぁ、そうやな。」
「前に会った事あるな。あたしが兄ちゃんを肩車してる時に。」
何だか恥ずかしいな。
「あの時は、あたしじゃ勝てねぇと思ってだけど、今なら勝てると思うぜ。」
「は、なり立ての吸血鬼がほざくな。確かに強そうやけど、なり立てでウチに勝てる訳がない」
「試してみるか?」
と火憐が拳を構え、臨戦態勢を取る。殺気にも似たプレッシャーが僕らにものしかかる。
「・・・」
影縫さんが黙り込む。そして意外にも意外。汗を一筋垂らした。そして一歩下がる。あの影縫さんが、だ。
「どうした?来ねぇのか?」
火憐が挑発する。なんだ、これ?どうなるんだ?
「・・・やめや。」
「は・・・?」
僕は間の抜けた声を出す。
「ウチの負けや言うてねん。勝てへんわ、こんなもん」
と投げやりに言い出した。ここで一番驚いたのは、斧乃木ちゃんだった。何も言わずぽかんと口を開けている。
「阿良々木火憐・・・おどれが構えた時点で分かったわ。ウチではおどれに何したって勝てへんわ。手も足も出せへんくらいに」
そんなに?そんなになのか?火憐の力は。あの影縫さんが「手も足も出ない」と言う程の実力なのか?死体の怪異の斧乃木ちゃんと来たら、いよいよ顎が外れるくらいに口を開けていた。もうキャラがブレブレだな。斧乃木ちゃん。
「あたしに勝てねぇから何だ?だからと言って兄ちゃんや月火ちゃんに手出したら、許さねーぞ。」
火憐は臨戦態勢を崩さない。それに対し、影縫さんはタメ息を一つしてから、
「手出さへんって。それかこう言おか?おどれにも、そしておどれの兄にも、妹にも手は出さへんし、これから一切何もせえへんから、どうか見逃してください。」
と、両手を上げて降参のポーズを取りながらそんな事を言った。これには僕も顎が外れそうになった。影縫さんにここまで言わせるのか。もう文明開化以上の衝撃だよ。
「・・・」
何も言わず火憐は臨戦態勢を解いた。その瞬間、無防備になった火憐に対して影縫さんが攻撃を・・・!しかける事はなかった。不意打ちでも勝てないと思ったのだろう。そもそも僕の考えすぎなのか。どちらにせよ影縫さんは火憐に対して、敵意を向ける事はなくなったようだ。
061
「さて、でもどないするんや?これだけの強さ。ウチが何もせんでも、きっとおどれは、色々な専門家から狙われるようになるで」
と影縫さんはそう言った。これは皮肉なのだろうか、警告なのだろうか。
「向かってきたら全員、倒すまでだぜ。」
と火憐はそう言った。影縫さんは何も返さなかった。返す力がなかった。
「影縫さん、僕は・・・僕たちは絶対に人を襲いません。」
完全に回復し、ようやく立ち上がる事ができるようになった僕が、影縫さんをしっかり見ながらそう言う。これは決意だ。
「でも人を襲わんと・・・飯を食わんとどう生きていくんや?」
「それは・・・」
返答に詰まる。そうだ。僕らは人を食べないと餓死してしまう。
と、その時、僕が返答に詰まると同時に僕らの後ろから声が聞こえた。
「お困りかい?こよみん?」
と。これは何でも知っている人の声だった。何でも知っている声。そう・・・臥煙さんだった。
振り返って見た臥煙さんは、超がつくくらいのドヤ顔で僕らの方をニヤニヤと見ていた。
062
結果、僕らは無害認定を受けた。人を襲わないという条件で。
もちろん向こうから襲ってくる分には抵抗して良いとの事だった。これは僕にとっては意外で、少し嬉しかった。火憐の強さを考えると、少なくとも妹たちが専門家に狩られる事はなくなったからだ。
では、どうやって生きていくのか。簡単だった。臥煙さん曰く兄妹同士で食べ合えば良い、との事だった。食べ合うと言っても肉ではなく血だ。血を飲み合う。
まず僕は、いつも通りだ。忍に血を吸わせて、忍に血をもらう。そのままで良い。火憐はキスショットの眷属である僕の眷属だ。遠回しにキスショットの眷属でもあるから出鱈目な強さなのだが・・・。重要なのは僕の眷属である、という事だ。つまり火憐は僕の血を飲む。月火は、火憐の眷属だ。だから月火は火憐の血を飲む。この場合、僕の血でも構わないとの事だ。二人とも元を正せば僕の眷属なので、僕の血を飲む事で栄養補給ができる。
そんなこんなで、僕らは互いを舐め合う事で生きる。もう人には戻れないけど。もう日常には戻れないけど。それでも僕ら兄妹は一緒に生きる事ができる。
月火の消失がまさかこんな結果に繋がるなんて、僕は、僕らは予想していなかったけど。
それでも僕は不思議と不安じゃなかった。
だって傍にはいつも火憐と月火がいる。僕はそれだけの事がたまらなく嬉しかった。
だから僕らは生きる。吸血鬼として。怪異として。
僕らは語り合う。
伝説の怪異の物語を。
063
時間経過
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時間経過
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時代経過
1000
100年。
1001
100年後。
僕らは、日本の端っこの海近くの古城にいた。臥煙さんが作ってくれたのだ。いかにも吸血鬼っぽい城である。
そこに僕らは生きていた。僕と、忍と、火憐と月火と、後、斧乃木ちゃん。
人里離れたこの場所で、この城で僕らは日々を生きていた。
緑が綺麗で、のどかな田園風景が広がり、大きな川が海に流れて、マイナスイオンがずっと飛んでて、別荘にしたら最高なんじゃないかと思える景色が、環境がそこには広がっていた。
ドン!
という音が城の外で響き渡る。海で大きな船が煙を出して、沈没しようとしていた。
「お兄ちゃんー・・・また火憐ちゃんをやっつけに来たハンターたちが火憐ちゃんにやられてるよー」
と月火がそう言った。チューペットを食べながら相も変わらず浴衣の、そして吸血鬼の月火がそう言った。
「またか・・・大丈夫か?火憐、相手を殺してないだろうな?」
僕はタメ息をつきながら救急箱を用意する。火憐ちゃんにボコボコにされたハンターを手当する為だ。
「まぁ大丈夫じゃろう。加減くらい知っておるじゃろ」
忍も出てくる。
「ま、その加減をした結果が、海の藻屑となった大型戦艦なんだけどね。」
斧乃木ちゃんも。月火と半分に分けたチューペットをチューチュー吸っていた。
「はぁ・・・やれやれ・・・」
僕は、城の窓から見える広大な海に、ブクブクと現在進行形で沈んでいる大型戦艦と、その周りで泳げなくてもがいているハンターたちと、沈む船の先端に格好良く、赤いヴァンパイアマントを風になびかせ、まるでヒーローのように立っている最強の怪異、究極の吸血鬼・阿良々木火憐を見て、タメ息をついた。
そして僕の傍らで、チューペットを食べながら同じ光景を見る不死にして、不死身。絶対に死なない吸血鬼・阿良々木月火の頭を撫でながら、僕は優しく微笑んだ。
時代は変わった。僕の愛すべき仲間はもうみんないなくなってしまった。僕の恋人・戦場ヶ原ひたぎさえも。そしてあの頃の僕を知っている存在は、今ここにいる人だけになった。火憐に月火に、忍に、斧乃木ちゃんだけになった。
寂しくはないよ。みんな大好きだ。辛くもない。仲間がいる。
幸せだよ。火憐も、月火もいる。ずっと一緒に生きていける。
僕らは生きるんだ。ずっと。ずっと。永遠とは言わないかも知れないけど、それでもそれに近い人生を一緒に生きるんだ。
そんなこんなで、僕の騒がしい日々はまだ続きそうだった。
終わり