つきひコカローチ

 

日曜日。世間は休みである。そしてもちろん私、阿良々木月火も休みである。

 だいたい日本人は働き過ぎだと思う。月曜から金曜まで働いて休みは土日だけ。せめて後1日くらいはどこかで休んで、週休3日制とかにすべきだと思う。もちろん私は中学生だし、学生だし、勉学に努めるものだし、働くという表現は正しくないけれど。どちらにせよ休みは3日欲しい。4日働いて、3日休む。これが一番理想の1週間だと思う。

「・・・・」

私はテレビを見ている。時間は午後2時半。

「・・・・」

テレビを見ているけど、内容は入ってこない。何やらお笑い芸人が漫才をやっているけど、ちっとも面白くもないように聞こえる。ちゃんと聞いていないからだけど。

「・・・・」

お兄ちゃんはどこかに行ってしまったし、火憐ちゃんも空手道場に行っている。両親は仕事。つまり私一人がこの阿良々木家にいるのだ。今、この家の主は私、阿良々木月火なのだ。

「・・・ふぁ~・・・」

だがしかし・・・この家の主は、暇だった。何もする事がない。何もやる事がない。浴衣姿のままリビングでテレビをゴロゴロしながら見ているだけ。そのテレビすらもしっかり見てる訳ではない。浴衣が少しはだけていても気にしない。別に誰に見られるって訳でもないし。お兄ちゃんがいたら「みだりに淫らな格好をするな」と怒りそうだけど、そのお兄ちゃんもいない。いっそお兄ちゃん野郎がいない事を良い事に全裸で過ごしてやろうか・・・

「・・・・」

そんな事を考えても実行には起こさない。

「・・・・」

喋る相手がいないので、喋る事もない。このままオチをつけてしまっても良いくらいだ。などとこの話にオチをつけようとしていた瞬間、

 

ぐー

と、リビングに変な音が鳴り響いた。私のお腹が鳴った音だ。

「・・・お腹すいたな・・・」

お昼は普通に食べたはずだけど。気が付けば午後3時。おやつの時間じゃありませんか。私はゆっくり身体を起こし、ソファから立ち上がり、キッチンに向かう。

「ふむふむ・・・」

冷蔵庫に一直線に向かい、勢いよくドアを開け、中身を物色する。

阿良々木家は、それぞれ自分の食糧に名前を書く事になっている。名前を書き忘れたなら、それはもう誰に食べられても仕方がないのだ。

そして、冷蔵庫にはプリンが5個あった。プリンの上にクリームやイチゴが乗っているプリンアラモードというデザートだ。そして5個の内、4個には名前が書かれていた。「つきひ」「かれん」「こよみ」「はは」と。名前が書かれていないのは「ちち」のではなくお兄ちゃんのものだ。

普通は「つきひ」と書かれたプリンを取るのが当たり前だが、私はそんな愚かな事はしない。私の名前が書かれたプリンを食べてしまえば私のプリンがなくなってしまう。だとすればここで取るべきは名前の書かれていないプリンである。だがそれもまだ甘い。このプリンように甘い。

「ふふーん♪」

私は何の迷いもなく「こよみ」と書かれたプリンを取った。お兄ちゃんは自分の所有物の管理が甘い。自分がプリンを所有している事だって忘れている可能性がある。ここで「こよみ」と書かれたプリンを私は取った上で、お兄ちゃんがプリンの所有を忘却している場合、私は「つきひ」と書かれた自分のプリンを食べる権利を残したまま今、この時点でプリンを食べられるのだ。名前の書かれていないプリンは誰が食べても文句は言われないので、また誰かが勝手に食べる前にもらうとしよう。仮にお兄ちゃんが自分のプリンの所有を覚えていたとしても「この前食べたんじゃない?」と言えば、「あ、そうだっけ。なら仕方ないな」となるに決まっている。余裕のよっちゃんだ。余裕のよっちゃん、斧乃木よっちゃんだ。

 

だから私は、「こよみ」と書かれたお兄ちゃんのプリンを何の遠慮もなく取った。ちなみに「かれん」のプリンを取らない理由は簡単だ。火憐ちゃんの場合、怒ると私がフルボッコにされる可能性がある。お兄ちゃんは仮に怒っても手は出さない可能性が高い。そんな思索を張り巡らせながら私はプリンを食べる準備を始める。

 

スプーンを持って、蓋を開けていざ食べようとした瞬間・・・

カサッ

「・・・!?」

小さい音がキッチンの私の耳に入った。

「ん・・・?」

私がふと下を見下ろすと・・・そこにはいたのだった。

「・・・・・!!」

黒くて、何かツヤツヤ光ってて、足の速いヤツが・・。しかも結構でかい。

「うぉぉぉ!!?」

私は驚いて、プリンを落とす。突如現れたゴキブリによって。英語で言うとコカローチ。よくみんなゴキブリの事を「G」とか訳すけど、英語はコカローチ・・「C」だからね。

いやいやそんな事はどうでも良い。とにかく私は目の前に突如として現れた底知れぬ脅威と、プリンを落としてしまった絶望に対して、身体が固まってしまった。

「うぉぉぉぉぉぉ!!!!???」

だがそこはさすが私!阿良々木月火。ファイヤーシスターズの参謀担当。固まった身体を即座に奮い立たせて、攻撃に出る。キッチンに乾かす為に立てかけてある包丁を取り、ゴキブリ目がけて振り下ろした。だがさすがの速度。もしゴキブリが人間と同じ大きさになった場合、その速度は新幹線を超えるらしい。そのすさまじき速度で私の攻撃を軽く躱した。

「な!?くそ!」

私は近くに置いてあった鍋の蓋を盾のように持って、そのままゴキブリに突撃する。正確には床に向けて鍋蓋を押し付けるだけだったが。

しかしゴキブリはそれさえも躱してそのままリビングの方に逃げていった。私が寝転ぶであろうリビングにやつが侵入するなどあってはならない。侵入を許したとしてもそこで私が寝れる訳がない。

「プ、プラチナむかつく!!」

私は奇声のような高い声で口癖を叫び、右手に包丁、左手に鍋蓋の盾、そして浴衣の帯に予備の武器として、スリッパと丸めた新聞紙を装備して、クエストを受注する。私はハンターだ。モンスターハンターだ。

いざリビングに入ると、もはやどこにゴキブリがいるかは分からなかった。私は神経を研ぎ澄ます。

「・・・・」

少しの音ですら聞き逃さないレベルでの集中度だ。

「・・・・そこだ!!!」

微かな音を察知し、私は包丁を振り下ろす。しかし振り下ろした場所にはすでにヤツはいなかった。包丁が虚しくソファに突き刺さる。

「く、くそ・・・どこに・・!?」

私は再び臨戦態勢に入る。と、その時、ソファの下からカサカサと出てきて、愚かにもヤツは私の眼前に現れたのだ。そして更に愚かにもそこで動きを止めた。

「ふふふふ・・・うけけけ・・愚かなり。この私の前に姿を見せただけでなく、その動きを止めるとは・・・このファイヤーシスターズの参謀・阿良々木月火を前にして命を諦めたか!」

ゴキブリは動かない。触覚を動かすくらいである。

「望み通り殺してやろう!わはははは!!」

世紀末覇者のような笑い方をしながら私は、帯に装備している丸めた新聞紙を手に取り、ゴキブリをロックオンし、振りかざした。だがその時、ゴキブリは羽を広げ、空を羽ばたいた。そして一直線で私の顔目がけて飛んできた。

「!!!?」

ゴキブリが!私の顔面に向けて!飛んでくる!!

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

私は慄いた。斧乃木じゃない。慄いた!黒光りするヤツが一直線向けて飛んでくる姿は、ゴキブリが眼前に見え、その姿が次第に大きくなるその光景は、まさに世紀末だった。

「ぎゃあああああ!!!」

私はあまりの恐怖に、後ずさりをし、迫りくる恐怖に対して本能的に身体を仰け反った。そのおかげで何とかヤツの顔面のへの直撃は免れたが、仰け反りバランスを崩した私は、そのままテレビに倒れた。

ぐっしゃーん!

と音を立てて、テレビが床に落ちて倒れた。

「いてて・・・!!」

ヨロヨロと立ち上がろうとした私は、そこで更なる衝撃を目にする。何とヤツは、ソファの近くにあるローテーブルに堂々と仁王立ち(そんな雰囲気)し、私を見据えていたのだ。そしてそのままローテブルから私目がけて飛翔した。

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!??」

私はリビングから逃げ出した。こいつ・・完全に私を殺しにきてる!完全に私に攻撃してきてる!

私は、あまりの恐怖の為に周りが見えていなかった。もちろんキッチンとリビングの境界にある段差など当然のように見えていなかった。

「ほえ!?」

私の足がその段差に引っ掛かった。そして勢いよく躓く。そのまま身体は前に倒れ、ダイニングテーブルに直撃する。私の勢いを支えきれずダイニングテーブルはひっくり返る。テーブルに置かれていた花瓶や、お菓子を入れるガラス皿などが床に落ちて割れる。

がっしゃーん!ぱりーん!

とそんな音がして、その残響音が鳴り終わる頃には、割れた花瓶とガラス皿の破片が床に飛び散り、テーブルはひっくり返り、キッチンは戦場と化していた。

「・・・・!」

だが気づけば、割れた食器に当たったのか、ゴキブリはピクピクしながら私の側でひっくり返っていた。

「・・・」

私は、敵といえどすさまじい戦いを繰り広げた戦友をティッシュで優しく包み込み、ゴミ箱に捨て、手を合わせた。こうしては私の戦いは終わった・・・。

「・・・」

冷や汗がでる。リビングはテレビがひっくり返り、キッチンは見ての通りの有様。

「・・・・やばいやばいやばい。こんな所お母さんに見られたら・・・」

阿良々木家の頂点は母親である。一言で言ってしまえば怖い。怒ると更に怖い。あの火憐ちゃんでさえ、母親が怒った時はガタガタ震えて、泣きだすくらいだ。バレる前に少しでも現状回復しないと・・・。と私は震える身体を何とか立たせる。

 

その時、玄関の鍵が

ガチャ

と音を立てた。玄関の扉が開き、コツコツとハイヒールの音がする。阿良々木家でハイヒールを履く人間は一人しかいない。

「あわわわわわ・・・」

汗がダラダラでる。止まらない。

 

ハイヒールを脱いだ足が音を立ててリビングに近づいてくる。私はリビングのテレビの倒れている横で正座をし、そのまま頭を深く下げた状態でその足音を待った。お兄ちゃんがよく使うやつ。ザ・土下座。お母さんがキレた時、お兄ちゃんは何の迷いもなく土下座をする。そして私もその手段を採用する事にする。ちなみにお兄ちゃんは、土下座をした後、すぐに許してもらった所は未だに見た事はない。

 

ドアが開く。

 

私の顔は汗でダラダラ。お風呂上り、バスタオルで顔拭く前のような顔になっていた。

真の恐怖がやってくる。

真の絶望がファイヤーシスターズの参謀担当を襲う。

 

 

 

終わり